島の雑学

ダイバーの旅行というと、潜る本数を稼ぐのに忙しくて、空港とホテルの往復、そして海の中しか見てこなかった・・・というパターンも多いと思います。僕もご多分に洩れずあまり長い休暇は取れないので、自ずとそんな旅行になってしまうことが多いのですが、せっかく飛行機まで乗って行ったその土地のことをほとんど知らずに帰ってきてしまうのは、本当にもったいないと思います。しかし、土地の歴史文化などに興味がないわけではないので、よく行く島などに関する本を見つけると、思わず手にとってみることもよくあります。沖縄などについては、いろんな分野の書物がたくさん出ているのですが、伊豆諸島となると名所・旧跡なども少なく、それに関する書物もあまり目にすることがありません。ですから、「江戸の流刑」(小石房子・著 平凡社)という新書本を書店で見つけたときは、少しは八丈島の歴史にも触れることができると思い、即買い求めたのでした。
以前、八丈島で飛行機の出発まで半日近くの時間ができたとき、「八丈島歴史民俗資料館」を訪ねたことがあります。そこでの展示のかなりの部分を占めていて印象に残ったのが「流刑」に関することでした。時代劇に出てくる流人というと、腕に入墨をされた粗暴な犯罪者をイメージしますが、八丈島に初めて流されたのは関が原の戦いで敗れた宇喜多秀家という武将で、こうした政治犯の流刑者は島の文化・経済の発展に大いに貢献したのだそうです。また密貿易の罪で流刑になった丹宗庄右衛門という流刑者は、島人に芋焼酎の作り方を教えた功績から、いまも「島酒の碑」に祭られています。宇喜多秀家の墓も、島酒の碑も、ショップから八重根というポイントに行く途中にあるのですが、まぁ、八丈で潜るダイバー多しと言えども宇喜多秀家の墓参りをした人はそう多くはないと思います。
江戸時代後期になって民事犯が多く流されるようになると、流人の質も下がり島人には迷惑な存在となってしまったようですが、初期の流人は島民からも敬われ、「八丈実記」という書物を著した近藤富蔵のように、赦免されたのちも島に戻って暮らした者までいたようです。いまの感覚でいえば、「島で暮らせるならそれもいいじゃない!」と言いたいところですが、当時は食料事情も悪く、決して生活は楽ではなかったそうです。そのため、無法者の中には島抜けを試みるものもいたようですが、成功することは滅多になく、捕らえられ残酷な方法で処刑されたといいます。有名な島抜け事件に、花蝶・豊菊という遊女によるものがありますが、彼女らが舟を出した場所が神湊という場所。ダイビングでは講習や体験によく使われる場所ですが、レアもの好きのマクロおたくたちにも人気のスポットです。ハゼだ、カニだと大騒ぎしているその場所で、200年近く前にはそんなこともあったのですね。



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