奄美と西郷さん


前回紹介した「江戸の流刑」のなかで、藩主・島津久光の命に背いて進軍した咎から、徳之島・沖永良部島に流された西郷隆盛のことが触れられていましたが、西郷はそれ以前にも、幕府から睨まれていた僧を庇ったことから立場を失い、死んだことにして奄美大島に潜伏していた時期があったそうです。そういえば、一昨年奄美大島に行ったとき、ダイビングは少し控えてレンタカーで1日島内を回ってみたのですが、その折、竜郷町の白間集落にある西郷の蟄居跡を訪れていたのでした。近くの海岸沿いには、西郷を乗せた舟をもやったという立派な松の木も残っていて、「西郷南州上陸の地」として観光バスまで停まっていました。そこから少し離れた、海岸からやや奥まったところにある白間集落は戸数も20件あるかないかというような静かな佇まいで、西郷の蟄居はその中心あたりにあってひっそりと静まりかえっていました。石積の塀の内側はテニスコートほどの広さの敷地で、亜熱帯らしい植物に覆われた小さいながらも風情のある庭の奥に、戸板で囲われた茅葺きの粗末な住居が復元されています。いかにも潜伏先にふさわしい密やかさに包まれていましたが、周囲に人っ子ひとりいないこともあり、いまにも戸板を開けて西郷さんが出てくるのでは・・・との錯覚に襲われてしまったものです。
豪放磊落なイメージの西郷ですが、奄美に着いたばかりのときは、風俗や風土のあまりの違いにカルチャーショックをうけ、しばらくはノイローゼ状態に陥ったという意外なエピソードも残っています。しかし、愛加那という島の女を妻としてからは、当時薩摩藩の圧制により「砂糖地獄」とも言われたほどの島民の窮状を救うべく力を尽くしたと伝えられています。明治維新の功労者である西郷のイメージは華やかのものですが、それ以前の不遇な時代、そして西南戦争に敗れて失意のうちに絶命した維新後の西郷を知ると、「分かっちゃいるけど、止められない・・・」という、ある意味直情径行的な、またある意味愛すべき人物像も感じられるような気がします。いまだに、「西郷さん」とさんづけで呼ばれ愛されている理由もそんなところにあるのだと思いますが、こうして南の島から改めて西郷さんに接してみると、教科書的な知識とはまったく違う、皮膚感覚の歴史に触れたような気分になり、ダイビング2本分ぐらいは十分元をとったような気になったのでした。



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