卵の意思!?

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 先日、「細胞の意思」(団まりな・著 NHKブックス)という本を読みました。ちなみに一緒に買ったのは佐藤優の「国家論」。分野は違いますが、ともにユニークな視点から書かれていて、専門的な内容にも係わらず思わず引き込まれていくような面白さは共通しています。このシリーズは、他にはない興味深いテーマを、適度なページ数とリーズナブルな価格で扱っている本が多く、薄っぺらのわりに価格だけは安くない新書本などより、よほどお買い得だと、個人的には思っています。

 著者の団まりなさんは、発生生物学の世界では有名な研究者で、生物学の中では最もとっつきにくい「発生」をテーマにしているにもかかわらず、僕のような文系の素人にも実に分かりやすい文体が魅力です。えてして、学者さんは自分たちの世界にだけ通用する文体で語る人が多いものですが、団さんは専門外の人に理解してもらうことの重要性をしっかり理解している、日本では珍しいタイプの研究者なのでしょう。で、本の内容なのですが、ひと言で言えば、「細胞には自発的に行動する能力があり、それが遺伝子などの働きと同様に、生物を成り立たせる重要な要素となっている」と言うことです。これに対して、脳も神経伝達系もない細胞にそんな能力があるはずはない・・・・というのが、従来の実証的科学の立場ですが、団さんは、これまでのように個体→組織→細胞→分子というようにいくら細かく要素を掘り下げていっても生きている生物の姿は見えないと主張します。細胞のあるがままの行動を素直に見て、その意味を探っていくというアプローチが必要だというわけです。

 そして、いろいろな細胞が、発生の各段階で見せる驚くべき能力を具体的に示してくれるのですが、それはまるで大勢の意思を持った人間が、自発的に動きながら協働して、ひとつの巨大プロジェクトを完成させていくのとそっくりなのです。自分の身体の仲に無数に存在する細胞にそんな力があるとはまったく想像もできませんが、そう思うと自分の身体が自分のものであってないような・・・・不思議な感覚にとらわれます。

 さて、細胞といえば、卵は巨大なひとつの細胞です。と、なれば卵にも「意思」はあることになる?

 前回のクマノミの記事を読まれた方には、言いたいことがすでに見透かされているのではと思いますが、そう、卵がメス親に「産みつけられる」のか、あるいは自らの「意思」で「着床」するのか・・・という問題に、この件はひとつのヒントを与えてくれているのかもしれません。

 卵が岩の表面などにくっつくのは、卵の表面に粘着性があって文字通り貼りついているように思えます。しかし、付着性卵を産む多くのさかなの卵には、「付着子」という糸状の付属物があり、これが産卵基質に絡みつくことで、産卵床に固着するのです。スズメダイの仲間の多くは、付着子つきの卵なので、当然これのある側が産卵床側に来て、すべての卵は一定の方向性を持って産みつけられることになります。ハッチアウト間近の卵はみな同じ方向に眼があり、一斉に見つめられているような気になりますが、それも当然なのですね。

 さて、メスの産卵管から排出された卵は、すべて付着子のある側が下になっていて、次々と岩に固定されていくのでしょうか? そうなれば、卵は親の意思で産みつけられていると言っていことになります。しかし、セダカスズメダイやクマノミの実際の産卵を見ると、卵はそんなに丁寧に産み出されているようには見えません。と、なれば卵は親の体内から離れたとたん、必死で向きを変え、産卵床にしがみついているのだ・・・とは考えられないでしょうか?

 しがみつくという表現は擬人的で、もちろん科学的に正確な言い方ではありません。しかし、そうでなければ、卵が同じ方向を向いて岩に並ぶ仕組みが説明できません。確かに、卵の内部に比重の偏りなどがあり、それによって卵の向きが決まる・・・とか、粘り気のある卵が岩の表面を転がっているうちに付着子のある部分がしかるべき位置に来る・・・といった説明もできます。しかし、団さんの本を読んだ後では、卵自身が産卵基質のある方向を感知し、一生懸命向きを変えて、「しがみついている」という考え方も、決して否定はできないような気がしたのでした。だって、卵はただの「物体」ではなく、小さいながらも独立したひとつの「生命」なのですから・・・・。

 



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