「種」は実在するか?

こうして見れば「種」は実在のものと見えるが・・・・

こうして見れば「種」は実在のものと見えるが・・・・

 前回から引き続きだらだらと「種」について考えています。生物の分類を考えるにあたってまず考えなければならないのは、「種」というものが自然界にハナから存在するものなのか、あるいは自然界にはないものを人間が意図的に区切って作ったものなのか・・・・という問題です。前者を「自然分類」というらしいのですが、「分類という思想」によれば、現在主流になっている分類学では「自然分類」が存在するということになっているようです。一方、著者の池田清彦氏は自然分類は存在しないという立場をとっていますが、素人の直感ながら、僕も自然分類というのはなんとなくありえなさそうな気がします。

 地球上の生態系が間違いなく進化の賜物なら、自然界に存在するさまざまな「種」は、互いに断絶して独立した存在ではなく、バクテリアから人類に至るまで繋がる連続的な存在のはずです。それが、ある時点できっぱりと、しかもすべての個体が一斉に別物になるなどということがありうるのでしょうか? 生物の進化は人間から見れば気の遠くなるほど長い時間をかけて進行するわけですが、現在記録されている「種」は時による変化を無視し、無理矢理固定化したものと言えます。例えば、今、A種からB種が枝分かれしつつあるさかながいるとして、これをどの時点をもってA種、あるいはB種と言えばよいというのでしょうか?

 もちろん、自然分類といえども最初から名前がついているわけもなく、これは自然界に実在されるというグループ個々の性質を、形質やDNA、統計などを駆使して人間が見つけ出し、人間の言語で整合的に分類したものです。しかし、池田氏に言わせれば、それも人間が認識した一部の要素によるものだから、自然分類とは言えない・・・・ということになります。

 この議論じたいに重要な意味があるのか、単なる言葉の遊びに過ぎないのかはよく分かりませんが、それとは別にひとつ面白いなと思ったことがあります。それは、自然界に初めから「種」があったとすれば、それはキリスト教原理主義の主張する「創造論」とかなり親和的なのではないかということです。神が創った生物なら、ひとつひとつの種はまったく独立した存在ということになります。もちろん、進化論を頂く現代の生物学は創造論とはまったく対極的な立場に立つものですが、それでも西洋文化に育まれた近代科学は無意識のうちに精神の奥底で、案外キリスト教的なものの影響を受けているのかもしれません。



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